パスト・マスターズ vol.1&2
このパストマスターズがなかったレコード時代は
音源がだぶることを覚悟しながら様々なレコードを
入手しなければビートルズを全曲収集できない状態でした。
80年代にCD化された当時、この
パストマスターズには非常に感動的でした。
ある意味においてはアルバム未収録の
単なる寄せ集め的なアルバムであるかもしれません。
でも、その考えは違うと思います。
これだけの名曲が収録されているのですから、
ある意味ベストアルバム的な要素として考えたほうがいいと
私は思います。
今回は「抱きしめたい」を中心にレビューしたいと思います。
初期のビートルズのステレオは
左に楽器音・右にボーカル音が収録されていて
このなんともいえないバランスがビートルズらしいと思います。
このCDを聴いた方でひとつの疑問があると思います。
なぜ「抱きしめたい」は中央にボーカルなのか??
時期的にはアルバム「WITH THE BEATLES」のため、
普通に考えれば左に楽器音・右にボーカル音が自然なはずです。
「抱きしめたい」のB面のTHIS BOYは
左に楽器音・右にボーカル音になっていて、
「抱きしめたい」はドイツ語バージョンでは
左に楽器音・右にボーカル音になっています。
さらには、オーストラリアの「抱きしめたい」
シングルレコードは左に楽器音・右にボーカル音のミックスされたものが
発表されています。(現在では現物でなくても海賊盤等で音源が入手が可能)
それではなぜ正規にCD化された「抱きしめたい」のボーカルが中央なのか?
単純には当時多くのファンがラジオのスピーカーから流れる
音・・・つまりモノラルの音にこだわっていたビートルズにとっては
ステレオはそれほど重要視していなかったことがこのような違いを導いていると思います、
それ以外の答えのカギは1963年10月17日の
レコーディングセッションにあるようです。
この日、初めて4トラックレコーディングが導入
されているのですが、その時にレコーディングされた曲が
「抱きしめたい」と「THIS BOY」などでした。
つまり4トラックレコーディングは
ハードデイズナイトなどにあるように
ステレオでも中央にボーカルがある録音・・・
つまり最初にリズムトラックをステレオで録音しても
後からボーカルなどを録音したとしてもボーカルが
中央にもってきてミックスするができます。
結論からすると録音機材の導入のタイミングによって
ボーカルが中央にくるミックスが可能であったから
中央にボーカルがあるというのが理由のようです。
しかしながら、THIS BOYは同じ日に録音されたのに
左が楽器音・右にボーカルというミックスは
複雑なハーモニーを重視した結果と想像できます。
また、後の1964年1月29日に
録音されたドイツ語バージョンは
アビーロードスタジオではなくフランスでの
慣れないスタジオで録音されたことに起因しているようです。
ヘイ・ジュード◎イエスタデイ
クラッシックギターの名手が演奏するビートルズの全集です。このCDでは1994年製のホセ、ラミレス、マドリードを使って演奏しております。
彼はギターで良く演奏されるバッハ、ソル、等の曲も演奏していますが、ムソルグスキーやストラビンスキー等のオーケストラ曲のギターへの編曲など前人未踏のことを良くやっています。このビートルズのギター演奏もその一つをいえます。なかなかの名演奏ですがギターという楽器で表現するのには少しきついジャンルではないかと思います。
荘村清志最新ベスト「愛のロマンス」
20年以上前にNHKで顔なじみとなった彼だが、テクニックは健在である。
まだ彼がギター教室の教師をする数年前に、あのアルベニスのセヴィーリャでショックを受けてファンになった人も多かろう。
さて、本アルバムはベスト盤として様々な作品を集めている。彼の演奏のエッセンスの集大成・・と云いたいところであるが、曲目構成がやや支離滅裂になってしまっている。寄せ集めの感は否めない。もっとも、これは彼のせいではなく、このアルバムプロデューサーの「売れるCD」作りの考え方の古さにあるが。それでも、演奏自体は彼らしい歌わせ方、音楽性やテクニックが聴き取れ、これだけで「荘村清志」をすませることができるのなら、いいかもしれない。
彼は6弦→10弦→6弦と変遷しており、この間に音楽も少し変わってきている。最初の6弦時代はとにかくスピードとパワーで圧倒していた。10弦になりイエペスの影響を受けてやや弾き方に”共鳴音”を大切にしようとする間 がみられるようになり、6弦に戻って円熟味を増した。テクニックは少しも衰えてはおらず、むしろ歌わせ方に余裕すら感じさせる。
彼の多くのLPレコードを知るファンなら、このベストはベストではなく、無理矢理集めてるなぁ という感想を持つが、LPの多くはCD化されておらず、このアルバムで我慢するしかなさそうである。