かもめのジョナサン (新潮文庫 ハ 9-1)
昔から他の人とは違う生き方をしたいと漠然と思っていました。そんな時に出会ったのがこの本「かもめのジョナサン」です。
かもめのジョナサンは生きる事の意味、生き方を教えてくれました。他の人とは違う生き方でもいいんじゃないか。自分の気持ちを押さえてまでやりたい事を我慢して周りの人に合わせて適当に生きていても、つまらない人生を送るだけ。他人とは違っていても自分らしく自分の進みたい道を行く方が生きる価値、生きる喜びを感じる事が出来る。
そして私はジョナサンのように自分の道を進んでいます。今の私の生き方は他の人から見れば、ちょっと変わった人だと思われる事もあります。でも今の生き方を選んで良かったと思うし、満足しています。すべてはこの本のおかげです。
親鸞 (下) (五木寛之「親鸞」)
上巻を読了した時点で、下巻には「悪人往生」の真意が描かれていると期待した。結局、五木氏自身にも説明することは困難であったらしい。
軽くて読みやすいというのが、五木氏のスタイルであったが、文体はそのままであった。この十数年、人生論などを書いてきたので、その成果が「親鸞」に結集しているのかと期待していたのだが。少し残念である。
親鸞 (上) (五木寛之「親鸞」)
一気に読んでしまいました。
フィクションの部分がありますが、そこに五木氏の仏教界の造詣の深さが
でています。別の方がかいてありますが親鸞や仏教に関係なく面白く
読めると思います。お勧めします。
四季・奈津子 [DVD]
公開されて30年も経った今、何気なく手にして初めて見てみたのですがびっくりしました。烏丸せつこはビキニにこそなれ脱いでいたイメージはなかったのですが、冒頭から普通に着替えシーンでヌードになっているじゃないですか。その後も惜しげもなく絶品の裸をさらし、それどころかベッドシーンが何度も出てきて相手は風間杜夫に火野正平(「暑い暑い」とか言って烏丸せつこの服を脱がす手練れにさすが筋金入りの女たらしと変に感心しましたよ)。そして想像はしていたものの肢体は実にスレンダーかつグラマラスで、その日本人離れしたプロポーションに感嘆しました。あの乳房の形は洋梨型というのでしょうか、それとも釣り鐘型というのでしょうか。そして現代のモデルでもそうお目にかかれない優美なウェストライン。小さいお尻にすらっとした脚。そして顔がまるで雛人形のように純和風にまとまっているのにも気付かされます。「知らなかった! こんなスーパーヒロインが80年代の初頭に存在していたなんて」その象徴がエンディング。映画内映画の撮影現場が突然切り替わりどう見ても本当のマンションを使ったロケ撮感触の画面で「OK!」この時の破顔は最高で恐らくは、女優奈津子が誕生したと言うだけでなく、烏丸せつこ自身が女優としてやり遂げることが出来たというもう一つの女優誕生の決定的シーンでもあるのです。
作品の全体像もポスト70年代を象徴していて本当に懐かしい感触です。幼虫が羽化して蝶になる変態の狭間を撮りたいと言われて東京に旅行に行く奈津子。彼女に影響を与えるケイは阿木耀子(本編では彼女まで美しいヌードを見せます)。逡巡し故郷に別れを告げ、さりとて東京に出てきてもヌードを撮ってもらう以外に何をする訳でもなく、自分は何者でもない。そして有名俳優(岡田真澄!)に誘われて女優の道を歩んでいく。「真夏の光みたいに生きるのよ」「私にとって、魂とは肉体のことだわ」五木寛之作品にありがちな生硬さと甘さ、緩さは割り引いても、今なお若い女性の自立物語が本作の域を出ていない事を考えると80年代初頭という時代のコンテキストが生んだ作品力というものが物語世界を強固に支えていたのだなと感嘆する訳です。
最後に、本作のキャストが今も日本の映画界を支えている人材に育ったことは本当に凄い。風間杜夫に佳那晃子、ちょっとだけ登場する山谷初男と宮本信子、そして何と言っても怪優になる前の若き本田博太郎。彼の撮ったヌードは本物の感触がしていましたが、篠山紀信によるものらしく「やっぱり凄い!」予告編で流れる高橋洋子“ボスホラスの海へ”は名曲(i-TUNEには入ってないですがYOU-TUBEでは聴けます)。でもやっぱり最初に戻って烏丸せつこです。最近また銀幕でよく見かけますがいい歳の取り方をしていて年相応の美しさに敬服します。当時のスタッフが集まって四部作最終話『四季・亜紀子』を作って欲しいと願ってます。
歌いたいの
山崎ハコのうたはとても強いです。なおかつ限りなく優しい・・・新たなアレンジを施してもやっぱり山崎ハコはかわりませんでした。 暗いのひとことで語れるアーティストではなくとっても強さを感じます。 こういうアーティストがすくないのが残念です。