人が人を愛することのどうしようもなさ [DVD]
まず、ミステリアスな“B級エンターテイメント作品”としてはなかなかの出来栄えである。
ネタバレになるのであまり細かいことは書けないが、2重3重の劇中劇というプロットが、巧みで、面白い。ラストに至る展開まで楽しめた。しかも、そうしたプロットを組み立てることによって、この作品そのものの出来にもエクスキューズが与えられる結果にもなっているし…、というのは少々穿った見方というものだろうか?
…で、なにかと話題の、主演女優の“裸体露出”について。
この“余りに過剰な裸体露出”は確かに過激ではあるのだが、そこで製作者(主演女優も含め)が意図したのは、ただ単に観客のスキャンダラスなものに対する猥雑な好奇心を煽り、満足させるということなのか?それとも、主人公の女性の普段は抑圧されている内面的狂気をそれによりさらけ出し、より作品に芸術的深みをあたえようとしたということなのだろうか?
もし前者の場合ならば、その意図は十分に成功しているだろう。いくら18禁とはいえ一般映画でここまでやるか?というポルノチックなシーンのオンパレードだし、それに対し主演女優も「何故に?」と思えるほど応え、とにかく脱ぎまくっている。が、もしそれが後者であるとするならば、製作者は描き方として明らかに努力する方向性を間違えているというのが、私の感想だ。
このぐらいの面白いエンターテイメントを組み立てる力のある監督ならば、(同じ物語であっても)別な表現法でより深く“人が人を愛することのどうしようもない”世界の狂気や悲しみを描けるのではないかという気がするし、異なる見解をお持ちの方もおられると思うが、私にとって本作に見られる“過剰で過激な露出”は、“結果として観客のスキャンダリズムやセンセーショナリズムに対する興味の中に搦めとられてしまうもの”を超える、表現としての必然性も説得力も感じられるものではなかったからである。
生きるということ
私達には二つの基本的な状態があると著者は言っています。
物や知識、権力等を持つことにこだわるのか、それとも能動的にありのままの自分を表現し、自分で喜びを獲得しながら生きるのか。
社会の力は大きく、何かを持つことがとにかく奨励され、その意識が基準になっているこの社会を変える努力を、かなりの難業だが始められなければならないとも著者は言っています。
生きることが漠然とし過ぎていると感じていた私に多くのことを意識的にさせてくれました。自分を自覚的にしてくれる生き方の根本的な知識は、全ての人の役に立つ知識だと信じています。
愛するということ
ずっと私はなんのために生きたらいいのだろうと思ってきました。人のために生きたらいいのかなーとか自分の幸せのためにがんばればいいのかなーとか、では自分の幸せってなんだろう、と。そしてこの本に出会いによって全てが分かりました。他者の幸せを願う、つまり他者を愛することによって人間は本当の幸せを得られ、それを人生の目的として生きればよいのだと。それからというもの、私は日々の大学の勉強も、「将来出会う人々を幸せにするためだ」と思うと、とても幸せな気持ちでがんばれます。
IL VENTO E LE ROSE ~愛するということ~ [DVD]
正直、役者の3流っぷり・カメラワークの安っぽさ、抽象的的な場面のツギハギ感等、すごく昼ドラっぽい感じがするのだけれど。
個人的には叶恭子という人は好きだし、彼女の魅力は「『自分』を持っていること」それに尽きると思う。
冷静に見て「あれは整形だろう」とか「すっぴんヤバイだろう」とか思うけれども、それでも彼女が魅力的に見えるのは「それが何か?」とも言いたげなあの独自性と自信。
この映画もまさにそんな感じで、「それが何か?」なのだ。
違和感があろうが、安っぽかろうが、叶恭子の表現したいことは充分に伝わった。
「自分の選択に責任を持ちなさい。責任を持ちたくないからといって他人に迎合するのは弱虫。」
日本人には、特に女性には足りない資質であると思う。
それから、全体的には安っぽくても、ベッドシーンはゴージャスだった。
AVではなかなかお目にかかれない、雰囲気あるベッドシーン。
最近、アメリカのドラマなんかを観ていると性に対する姿勢が日本人ってすごく特殊なんだなあと思う。
うしろめたいもの、と考えて隠したがるのって珍しいほうかもしれない
なんで隠すのかしら、と思いつつ、でも「カモーン」といわれると萎える男子の心情もよく分かるから困る。
ところでタイトルのカタカナ読み、これで合ってるの?
人間の土地 (新潮文庫)
「経験は僕らに教えてくれる、愛するということは、お互いに顔を見あうことではなくて、一緒に同じ方向を見ることだと」。
フランス文学の代表的な名著のひとつ。最初に私が本書を読んだのはもう20年以上前のことだ。しかし、本物は時代を経ても色あせない。飛んで、戦って、愛して、生きたサンテグジュペリの魂が、本書を開くたびにまた新しい勇気をくれる。「救いは一歩踏み出すことだ。さてもう一歩。そしてこの同じ一歩を繰り返すのだ」。そして、ああ、そうだった、まだ何かできることはあるかな、と思う。
気の利いた言葉をくれる書物は巷に溢れている。しかし、「ぼくは、死を軽んじることを大したことだとは思わない」などと断言する知識人が現代に何人いるだろう。本書と、ヤワな自己啓発本や机上理論だけの哲学書の違いは、実はかなりはっきりしている。
「人間と、そのさまざまな欲求を理解するためには、人間を、そのもつ本質的なものによって知るためには、諸君の本然の明らかな相違を、お互いに対立させあってはいけない」。サンテグジュペリの著作は若いころにいろいろ読んだが、一冊となるとやはりこの本に行き着く。訳は確かにもう古いかもしれない。ただ、だからといって本書の価値が失われているわけではない。