三河の旗本退屈男 (はるなつあきふゆ叢書 (13(2005夏)))
天下御免の向こう傷で鳴らした旗本退屈男こと早乙女主水之介は、東映時代劇華やかなりしころ、市川歌右衛門の当たり役でした。映画はいつも大入り満員でしたが、映画のストーリーは、原作とは関係の無いものがほとんどでした。
本書の表題作は、退屈男シリーズ11話中の第5話です。三河にふらりと現れた退屈男の目の前で、おりしも参勤交代で通りかかった薩摩の殿様が、ぐずり松平の異名をとる長沢村の領主松平源七郎の門前を素通りしようとします。松平家には、東海道を道中する大名は長沢松平家に相当の挨拶があって然るべきとする三代将軍直筆のお墨付きがありました。徳川宗家のお墨付きを蔑ろにする行為を、眉間に冴える三日月傷が黙って見逃すはずはありません。
佐々木味津三の魅力は、その歯切れのよい独特の文体にあります。とりわけ、小気味好い絶妙の台詞回しがこたえられません。本書では、諸羽流正眼崩しは披露されませんが、73万石の大名に対して威勢のよい啖呵がぽんぽんと飛び出して痛快です。小品ながら、何度でも手に取ってみたくなる大衆時代小説の傑作です。