楼蘭王国―ロプ・ノール湖畔の四千年 (中公新書)
楼蘭といえばシルクロード。
そんなすり込まれたイメージがある。
某放送局の「シルクロード」は中国との協力で制作していたし、そもそも楼蘭のあった地は現在は中国領、加えて言えば「楼蘭」という名称も漢字表記。こういったイメージは楼蘭を中国文明と深く繋げて考えさせてしまう。
しかし、これも有名な「楼蘭の美女」。
金髪のインド・ヨーロッパ系の女性であることは少しでもこういったことに興味がある人は知っているはず。
さらに木簡といえば漢文資料というイメージが強いが、実は西域からはスタイン始めカローシュティー資料も多数収集されている。
実は西域は中国文明の外の世界であったのであるが、世間では「シルクロード」のイメージが強く、実態はあまり知られていない。
さまよえる湖に関するプルジェヴァルスキーからヘディンまでの論争、ロプノール地域の多数の城塞・都市のいずれが王国の首都であるか、湖の移動と都市の移動、ミイラの様式と民族など古典的命題から新しい課題まで楼蘭に関する重要な論点を丁寧にわかりやすく著述している。
また、ガンダーラ語文書の解読もこの手の新書ではあまり見ないもので、西域でどのような文化が栄えていたかを考えるうえで非常に参考になるものである。
西域は我々のイメージの通り、文明と民族の十字路である。
これまでは西域については学問的水準の問題もあってだが、中国文明からの視点で紹介されることが多かった。しかし、西域は、中国文明はその有力勢力であるとはいえ、土着・外来を含め多くの文明と民族交わる地であった。イスラム・トルコ・中国といった現在の西域に色濃く根付く勢力の到来以前の土着の文化や民族を探るこの書の試みによって西域の多様性がさらに鮮やかに蘇ることになるだろう。
楼蘭
45周年記念の第2弾。楼蘭。中国シルクロードの要衝、楼蘭を喩えにした、熱き激しい恋の気持ちを歌う曲。とてもせつなさがこみ上げてくるような歌詞ですが、幸子さんのこの歌への感情表現がとても上手だと思いました。女子十二楽坊とのコラボで、中国楽器の音色がとても美しく、中国を思わせる感じがすごいです。歌のタイトルに、ぴったりした美しい、壮大な曲でした。「悲しみの帳」もよかったですが、この曲では、幸子さんの歌い方が非常に情感深い事と、中国や楼蘭の魅力や、楼蘭への思いや、恋心のせつなさがよくでているので、何度も聞き入ってしまいます。幸子さんは、どんな歌でも感情を上手に歌に込めて、歌いこなせる人だと、感動してます。幸ちゃんの歌は、何度聞いても聞き飽きません。「この地球に生まれて」の歌では、人間の持つ弱さを表現した上で、明日に生きる勇気を与えてくれるような心癒される歌でした。
奇鋼仙女ロウラン - いろは詩
中国の音楽を思わせるような曲なので、聴きたい!
EDに流れていた「いろは詩」は、歌詞も悪くない。
ロウランは、孤独な少女。「鬼」を感じると奇綱仙女に変身。
最終回で、徹也が死ぬという悲しい場面がありました。
ロウランが、彼を愛していた気持ちがわかります。
ロウランは戦い続ける・・・・・。
正義の為に。
核の砂漠とシルクロード観光のリスク─NHKが放送しなかった楼蘭遺跡周辺の不都合な真実─ (高田 純の放射線防護学入門シリーズ) (高田純の放射線防護学入門シリーズ)
著者である札幌医科大学高田教授の前著「中国の核実験」で、著者のカザフスタンでの調査から、中共がウイグル人の居住地で46回もの核実験を行い、それは広島核の1375発分にもなる。そして19万人が死亡、129万人ものウイグル人が核放射線被害を受けたと伝えていた。
続編である本著では、NHKが中国の核実験を承知した上で、それを隠したまま、歴史ロマンだけに光を当てたシルクロードの番組を制作したという驚愕の事実をを告発している。
それは、「中国の核実験」を著者自身が、井上靖記念館を訪れた際、関係資料から知ったという。
この番組により、27万人の日本人が、シルクロードを観光に誘ったのだ。
そして、中共は、1969年の核実験で、同胞である5万人の人民解放軍兵士を参加させた核軍事演習を行っていた!
彼らは何も知らされず、放射線防護装備など全くなく、核実験に突撃したのである…当に悪魔の所業である。
中共寄りの番組を制作し、告訴されているNHKと中共の関係=不都合な真実を放射線防護学の研究者という立場から解き明かした著者の渾身の一冊であった。
楼蘭 (新潮文庫)
大国漢と匈奴にはさまれた弱小国楼蘭の変遷を描く表題作他、西域に植民する後漢の武将索勱(そうばい)の姿を描く「洪水」、幻想的な「羅刹女国」など砂漠に人びとの運命を描く短篇と、織田信長を討つ明智光秀の心理に迫る「幽鬼」、極楽浄土信仰に巻きこまれる僧侶を見つめる「補陀落渡海記」など日本の古事に題材を取る短篇計12篇を収録。
運命の濁流に激しく、そして静かに対峙する人びとの姿にただただ感動します。力と力がぶつかり合う西域において、情勢にさとく反応しながら、それぞれの生をしたたかに生きる人びとの息づかいが聞こえてきそうです。
キリスト教的信仰とは無縁の西域で、運命、徳、他社との関係性の中で生を模索する視点は、肯定的な意味でも、否定的な意味でも、必ずキリスト教に回帰していく西洋文学に浸りきっていた私には非常に新鮮でした。井上氏が描く、運命にもまれながら自己を失わずに生を全うする人びとの姿には、不思議な説得力と魅力があります。とてもフィクションとは思えない生々しさが素晴らしい一冊です。