ベニスに死す [DVD]
「生命力」が「論理」を凌駕してしまう物語だ。いやむしろ破壊に近いかも知れない。
ダークボガード演ずる主人公アッシェンバッハが、美少年タージオに翻弄される様はもはや悲惨を通り越して滑稽ですらある。
社会的には完璧な成功を収め、もはや誰にも立ち入る隙の無い格式と威厳を具えた主人公が、こちらのことなど屁とも思っていない美少年の為に、おろおろしたり、どぎまぎしたり、一人でニヤニヤしたり、挙句は髪を染め、道化の如く顔を白く塗りたくり、唯少年を見守りたいがだけの為に疫病の危険も省みず、静養地のベニスでの死を選ぶ。
そして主人公と少年との会話は一切無い・・・。
私は、基本的に恋愛映画というものが好きではない。(個人的に恋愛に対して極度にシビアだというせいもあるが)
第一他人の恋愛なんてどうでもいいし、どんな名作と言われる恋愛映画を観ても、「愛してる?愛してない?」などの下らない痴話喧嘩と台詞のかけあいで盛上げて、はいおしまい・・・「で?」・・以上の感想を持ったことはない。
そういう意味でこの作品は私の殻を打ち破ってくれた作品とも言えるだろう。(ホモだけどね・・・私はホモじゃないよ)
あとこの作品は、ヨーロッパの町並みや荘厳な衣装や建造物などに全く興味の無い人が観ても十分鑑賞に堪えうるようにできている。
むしろ老若男女問わず、「ある特定の人に身も心も骨抜きにされて人生観が変わってしまった」ような経験のある方に薦めたい。
アッシェンバッハを笑うことは出来ないはずだ。
JAZZで聴くクラシック・マイ・スタイル
トーマス ハーデンのシリーズで「ジャズで聴くクラシック」を偶然見つけました。今までクラシックしか興味の無かった私ですが、チョットしたノリから、買ってしまいました。聴いてビックリ! ブランデーを飲みながら聴くにはクラシックに比べものにならないほど最高の大人の気分を醸し出してくれます。「マイ クラシック」とダブってカッテイングされている曲も有り、今は毎晩聴いております。本当に癒されます。しゃれた気分にさせてくれます。
明日も頑張って仕事をしに行きます。早く帰って、このCDを聴くために仕事に行きます。
ベニスに死す〈ニューマスター版〉 [VHS]
この作品はビョルン・アンドレセンなしでは語れません!
―彼のあの美しさ、セーラーカラーシャツをも可憐に着こなす未だ性無き天使の美貌失くしては、この作品はここまで人の心を惹きつけはしなかった事でしょう。
―勿論、主演したダーク・ボガードの演技も素晴らしいし、
この作品を創り出したルキノ・ビスコンティの特出した才能あってこその作品なのだけれど!。
(ただ、タジオ演じるビョルンの、少女より少年より美しい存在は衝撃でした!!…こんなに綺麗な人間が存在していたこと自体が、奇跡的だと思ってます。)
音楽もとても美しいです。
作品世界のもう一つの柱だと言えます。
個人的には、ハイビジョンクラスの最新映像で見てみたくもありました。
原作と映画では幾!つかの設定に違いがあって、それもまた比較する楽しさがあります。
作品全体に漂う、夏の倦怠感にも似た―倦んだ熱を孕んだ空気が、独特の映像世界を作り出しています。
―その空気が、この映画独特の…悦びと、淡い絶望の混在する魅力につながっている様にも感じます。
(ヴェネツィアに行った事のある方には特にお勧めです。当時と今の違いを見ても、興味深く楽しめます。)
見るまえは硬いイメージばかりが強かったのですが、見終わった後には…作品世界に酔いしれるばかりです…。
一度は見てほしい作品です。
ベニスに死す [DVD]
ビスコンティ監督作品中屈指の名作。淀川長治さんのラジオ番組を聴いていた頃から絶賛されていた。
やはりビョルン・アンドレセンの美少年ぶりに感心する。彼がいなければこの作品世界は成り立たず、また彼もこの作品のためだけに生まれてきたのではと思わせる、絶妙のマッチング。映画の中でダーク・ボガードの化粧が崩れていくように、少年老い易くが世の常であり、彼がいつの間にか芸能界から姿を消したのもうなずける。人間の肉体の美はそれほどきわどい、刹那的なものだ。
そして、この作品でもう一つ尋常でない輝きを放つのがマーラーの交響曲第5番第4楽章。映画の空気を完全に支配し、映画で用いられたクラシック音楽のベスト5に入るだろう。
本作は、美と、ダーク・ボガードが体現する老いや死、時には「醜」である日常生活との対比(映像特典でビスコンティ自身が対比を強調している)とそのバランスが崩れる様を、そして美を創造する芸術家のもがく姿を描いた作品だ。そういう観点で、2人の音楽家(マーラーとシェーンベルクがモデルとされる)の論争場面も見逃せない。
トニオ・クレーゲル ヴェニスに死す (新潮文庫)
トーマス・マン『トニオ・クレーゲル』の邦訳は複数あるが、初めて読んだのが高橋義孝訳だったという個人的理由により、思い入れは本書が最も強い。
詩人にあこがれる少年トニオ・クレーゲルは、快活な友人ハンス・ハンゼンや金髪の美少女インゲボルグ・ホルムに一方的な想いを寄せるが、彼らから愛されることは決してない。やがてトニオは故郷を離れ詩人として成功するが、友人で画家のリザヴェーダ・イヴァーノヴナに「迷える俗人」というあまりありがたくない称号を与えられる。
ある日トニオはもはやだれもいない故郷に帰る。かつての自分の邸宅は図書館になっており、あやしまれたトニオは警察につきだされそうになる。
宿泊所でトニオはハンス・ハンゼンとインゲボルグ・ホルムのそっくりさんに出会う。物陰から二人を見つめながらトニオは郷愁に胸を押しつぶされそうになる。自分が仕事をしたのは君たち二人のためだったのだ。自分の部屋に戻ったトニオは、昔と同じ孤独な自分の姿にすすり泣く。
学生時代に読んだとき不可解に思った「どうして本人ではなくそっくりさんとの再会なのか」という疑問は、しかし今となっては氷解している。歳を取ったかつての親友や恋人と会っても、待っているのは幻滅だけである。美しい思い出を壊さないためには、たとえ別人でも若い二人が必要だったのだろう。
全ての文章が詩のように美しい。思い入れが強すぎて客観的な評価がもはや不可能な作品である。とはいえこれはやはり勝者の文学であろう。トニオは彼が最も愛する人たちからは愛されなかったが、その代わり読者や評論家たちからは愛された。地上の愛は手に入れられなかったが、名声は手に入れることができた。しかし現実にはどちらも手に入れられないのが人生というものなのだ。哀愁と郷愁と憧憬と嫉妬と、そして何よりも残酷な美しさをたたえた名作中の名作である。