信長は謀略で殺されたのか―本能寺の変・謀略説を嗤う (新書y)
歴史好きなら一度は考える本能寺の変に関する研究本。鈴木氏と藤本氏の得意分野である歴史研究系である。
両氏の本には時々問題点があったりもするが、この本には比較的それがない。恐らくお互いがお互いの原稿をチェックして本にしたのであろう。その意味で非常に納得の行く論を述べられている。
詳細は他のレビュアーの方が詳しく書かれているので私が書く事は既にないが、自称でも他称でも歴史研究家なら目は通しておくべきだろう。
逆に歴史小説家にはちょっと厳しい本かもしれない。フィクションと割り切ってこの本を無視した小説を書くならともかく、歴史の事実を本にしたとしながらこの本の論拠を突き崩すのはかなり難しい。
強いて欠点として、この種の本ではやむを得ないのだが、引用部分が多い上に引用と筆者の考えが交錯するので、慣れていないと読みにくい。その意味では初心者向けとは言いがたいだろうか。
最後に、中国大返しに関して「常識では考えられない」と著者は述べているが、常識で考えられないと言うほどでもない。この行軍は戦前の帝国日本陸軍が行軍距離と軍の移動力から検証しており、その報告で「強行軍だが不可能ではない」との結論が出ていることを蛇足ながら記載しておく。
霊操 (岩波文庫)
霊躁は一ヶ月のプランで構成されているが、短くして8日間で一通り体験することができる。この本は読んでみれば解るが、読んだだけでは何の効果もないことがわかる。実際イエズス会修道院において司牧者のもとで指導を受けることが望ましい。
わたしは8日間の霊躁を受けたが、たかが8日間といえども長いもので、逆に途中でついていけなくなったりしたら時間を取り戻すことは不可能である。つまり霊躁を始める前には準備が必要である。簡単に言うならば、数日前からあわただしい生活から離れ心を落ち着かせておく必要がある。たしか金曜日の夜から日曜日にかけての二泊三日の黙想会もあるので、それはとても参考になると思う。
霊躁はカトリック教会における静養だが、根本的には曹洞宗の禅と同じである。瞑想は結果的にどの宗教も同じことをしているといえる。日本語訳はいくつか出版されているが、司牧者の方から良い訳といわれるのはこの岩波文庫である。それは日本人に合った解説が付けられているからといえる。
この書物は本格的に遂行しようと思うならば、一ヶ月の時間を作らなければならない。よって時間を作れない仕事はやめなければならないだろう。その場合、霊躁を受けたいが仕事の方が大切であることは最もであることを熟慮する必要がある。いずれにしても霊躁を受けることは困難であるが、わたしから言ってみれば選ばられた者が受けることができる。
しかしそれ以上に霊躁を受けた者は必然的にそれからの道が決まっているだろう。霊躁は自分を見つめなおし、これからの生活を新しく生きていくことを目的としている。