セッサ タクマの10分でできる新メニュー ブルームなシェフ8人
著者の一人、K氏からの再三の売り込みで一冊いただいた。
氏曰く、老人たちが調査員を接待して星を買っている時代に
真に自分の技量を磨いてお客さんを満足させるために頑張るのは不器用なのかもしれない、
が、だからこそ老いた年功序列主義者には負けたくない、
そのために集客だってわれわれ一人一人がテレビタレントのように走り回ってでもやる。
この本はそういう一環として売り出されたもの、
ぜひ応援してほしい、と。
その熱意は評価できる。
私たち料理雑誌編集者にもこの業界の老害は目に余るものがある。
あるフレンチの重鎮は調査員に対して「C店も二つ取った。このままでは第一人者の地位を奪われる。
今年はどうにかして三つにしてほしい」と懇願したという。
そんな卑しきメンツの虜にくらべたら、たしかにセッサの面々は潔く、そして清々しい。
ただし、この8人が8人とも評価とリスペクトに堪えうるわけではない。
テレビでの姿はまことに凛々しく違いがわかるシェフのようではあるが、
取材を通じ彼の実態を知る人間はその料理技術も、もてなしの姿勢も、味も並み以下であることをお見通しだ。
要するに、現実には「料理芸人」としてしか評価されていない人間がこの中にいるのだ。
セッサタクマの面々の多くもそのことを知っているはずだ。
当然、セッサタクマの品位が落ちたり、あるいは疑問視されたりするとすれば、
それは間違いなくこの似非シェフ=浅薄な料理芸人の実態が世に広まったその瞬間からである。
セッサタクマがもしそれでも業界への新風と自己研鑽の象徴たろうと思うなら
まずはその芸人でしかない「まがいもの」を互いの切磋琢磨の中で淘汰し、
自浄的に上を目指すことから始めるほかあるまい。
皮肉にも、セッサタクマでは誰が「料理芸人」で、誰がそうでないかが浮き彫りになっている。
その意味で、セッサタクマという本への評価は低迷続く飲食業界を象徴しているといえそうだ。
生き残るべき俊秀たちに期待を込め、セッサタクマと面々の推移を見守りたい。