木に学べ―法隆寺・薬師寺の美 (小学館文庫)
法隆寺の宮大工であり、伝統木造建築を熟知する棟梁が語り尽くす建築論。これを通しての人間論でもある。建築論と人間論との接続に妙味があり、そこが人々を惹きつけている理由だろう。短絡との批判もありそうだが、それはそれ、滋味あふれる貴重な経験談として傾聴に価する。
棟梁が語るのであるから当然、木材や木工事についての話に力点がある。私見だが法隆寺での感動を想い起こすと、それは建築物の細部だけではなく、伽藍全体の構成美や空間印象によるところも大きいと思う。これに関しては和辻哲郎著『古寺巡礼』(岩波文庫)や最近、建築家により書かれた『法隆寺の謎を解く』(武澤秀一著、ちくま書房)が格好の手引きになると思われる。
木のいのち木のこころ―天・地・人 (新潮文庫)
法隆寺金堂、薬師寺金堂など復興を果たした
「最後の宮大工」西岡常一氏、魂の言葉。
法隆寺大工の口伝として心に残ったのが、
「神仏をあがめずして社頭伽藍(しゃとうがらん)を口にすべからず」
「家宅は住む人の心を離れて家宅なし」
「堂塔建立の用材は木を買わず山を買え」
「木は生育の方位のままに使え」
「木の癖組みは工人たちの心組み」
「仏の慈悲心なり、母がわが子を思う心なり」
これは商売や人を育てることと共通しているな、と。
コンピューターや機械が普及し便利になっても、
最後に判断するのは人間であり、1300年続く
英知の結晶は、すべて口伝によって受け継がれて、
自分の頭で考え、経験によって学んできたものが
生きると説きます。
木を生かすのも人、人を生かすのも人、棟梁の
大事な仕事として木の癖(個性)を知って、
それを無駄なく活かす方法を考えることが重要
(あとから現れる性質を見極める)というのは、
子育てにも人の上に立つにも必要なことではないかと思う。
飛鳥時代に建立された後、
室町江戸時代の修繕の酷さは、慢心や費用(道具に
頼りきっていたり、ただ修理すればいいと木の
性質を見極めることまでしていない)、自分たちが
造るものに対して最善を尽くすといった心構えが
少し足りなかったんではないかとも書いています。
心づかいがなくなって、人の指示だけに従って仕事を
していた跡が、後々になって悪い状態で現れる、と。
木(人)があればいいのではなく、その環境や後々の
ことまで考えて生かしていく先人たちの経験と知恵
…口語で語りかける文章は、スッと心に入ってきます。
儲け云々よりも心構えを大事にているお話です。
ペンブックス 神社とは何か? お寺とは何か? (pen BOOKS)
雑誌の記事を編集し直した本のようですが、その内容はかなりしっかりしています。書籍よりも雑誌の様なスタイルを好む人には良い本だと思います。
但し、個人的には少し読みにくい印象があり、はじめのページから最後のページまで順を追って読む本と言うよりも、ぺらぺらめくって気になったところをよく読むという感じです。写真とかイラストなども多く、文字ばかりの本よりは良いのですが、、、
この著者の他の書籍の方が、全般的な知識を頭に入れるには良いと思います。