ヒックとドラゴン ボーン・クラッシャーの伝説エディション [DVD]
友人に薦められて映画館で観たが、予想を遥かに上回る面白さだった。
映画を観る前はドラゴンのデザインがあまりかっこよく思えなかったが、映像で観ると何の違和感もなくむしろ魅力的な生物であると感じさせられる。
その印象の変化は、主人公のヒックがドラゴンに対して感じ、発見していくものと同時に得られるため、自然と感情移入して物語に夢中になることができる。
できれば3Dでみるのがおススメだが、ストーリーがしっかりしていて登場人物もその全てがとても魅力的なので、2Dでも十二分に楽しめると思う。
というか2Dでいいからもう一回観たい。
監督はリロ&スティッチを手がけた方だったと思うが、ドラゴンのトゥースはスティッチを思わせる表情や行動で、とても愛らしい。
ビジョナリー・カンパニー ― 時代を超える生存の原則
人が人生に「生きがい」を求めるように、企業もその存在に「生きがい」といえる「理念」をもつべきだろう。しかし、もし企業の使命が「儲けること」だけだとしたら余りにも淋しい。
企業の使命は、株主への利益還元であるとする考えが近来主流となっているが、米国の主要企業CE0が選んだ「ビジョナリーカンパニー」すなわち理想とされる企業の多くは、その使命として利益追求を第一には掲げていない。
それらの企業は長続きする「生きがい」、自分たちが存在する意義に対する確信をもっている。例えば、ジョンソン・エンド・ジョンソンはその使命を顧客、社員、地域社会、に対する貢献と定め、その結果として株主の利益がはかられるべきだとしている。ディズニーは「人々に夢を与えること」をその使命としている。
本書は、このような明確な基本理念をもつばかりではなく、常に「進歩への意欲」を持ちつづけた結果、50年以上の歴史を有し、全米の経営者から尊敬を集めている18社を6年間に渡って調査したレポートである。
その分析の結果明らかなことは、「ビジョナリーカンパニー」とは、近来もてはやされている「エクセレントカンパニー」とはいささか趣きが違う。
「ビジョナリーカンパニー」は「理念を持ち続けること」と「大胆な挑戦」という厳密にいうならば背反する命題を持続し続けている。その為には、その企業内構成員が、一種カルト的に意思統一されていることが不可欠である。従って、「ビジョナリーカンパニー」の中は、企業理念に心酔し意気に燃えている人にとっては極めて心地良いだろうから、その企業は更に「ビジョナリーカンパニー」としての磨きがかかるという好循環がうまれるだろう。
本書は企業も「生きがい」をもつべきという主張から成り立っているから、「ビジョナリーカンパニー」の理念や、カルト的熱狂に埋没できない人たちは、「ビジョナリーカンパニー」から脱落するか、自ら去っていくことを指摘し、その人たちを敗者と位置付けているが、果してそうだろうか。それほど簡単に割り切れるほどには世の中は単純ではないと思うが。だからこそ「ビジョナリーカンパニー」を作ることは難しいといえるのかもしれない。
95年の発刊以来、日本でもすでに19刷を重ねた評判の本であり、企業理念、企業改革に関心が高まる昨今、一読されることをお勧めする。
To the Sea
ジャックジョンソンは全作品買ってきたけど、前作でチョット暗いかな・・・って思ったけど
今作でまたいつものサーフミュージックに戻ってきた感じですかね。良い意味でね。
車で聞いてても気持ちがいいですからね。
Who Moved My Cheese: The 10th Anniversary Edition
字が大きくて短いので、大人のはじめての洋書に最適です。
実際わたしも今まで沢山の英語を上達したい人に相談を受けて、この本をプレゼントしてきました。
若い人から、かなりの高齢の人まで、ほとんど受け入れられるようです。
なにより、チーズの大きい絵が入っていたり、なんだか抵抗感のない本のようです。CDかカセットも合わせて差し上げ、朗読に合わせて英語を読み勧めるように勧めます。それでもわからないようなら、日本語版を買って内容を確認しながら、読み進むようにアドバイスしています。
いちいち辞書を引くのは、時間の無駄だし、初心者には無意味でもあるように思います。ひとつひとつの単語の意味より、全体の本の意味を理解するように、何度も繰り返し(1時間くらいですから)聞きながら英語をよみましょう! この本をはじめに、沢山の洋書を読み始めた人が沢山います。
国家対巨大銀行―金融の肥大化による新たな危機
著者の言うとおりです。過去25年間に金融はなんと変わってしまったのしょうか。金融による政治の乗っ取りこそが著者の提示するテーマです。それは金融立国のイデオロギーです。それはアメリカ版crony capitalismの構図でもあります、この構図は、業界による政治献金、業界による文化風土の乗っ取り、そしてrevolving doorによる政治、行政、業界の人的な相互浸透によって重層的に支えられています。。また公的資本の注入も、業界の居直りにより、株主責任と経営陣の責任を問うことには失敗しているというわけです。著者は100年前のanti trust法を引き合いに出して、もはや少数のメガバンクによるアメリカ支配は、もう一つのアメリカの伝統である民主主義と責任ある経済運営とは両立しないことを指摘します。著者によると、テクノクラート的な最近のバーゼル規制もどれだけ資本が必要かわからない現在では、基本的な問題の解決につながるものではなく、contingent capitalなるアイデアもしょせん机上の空論であり、むしろダウンサイズや業務規制こそが、必要であることを指摘します。具体的にはGDPの4%(商業銀行)を呈示します。金融は戦争や外交と同じく、専門家に任せておくには余りにも重要な世界(Peace & War: A Theory of International Relations)
になってしまったというわけです。