愛がなくちゃね。
どんなときもどんなときもどんなときも。このころのイトイさんはすっげー歌詞を書いていたものだ。平易な言葉で時代の、というか当時のこまっしゃくれた若造の気分をかすめ取るような。(そりゃ、コピーライターだもんね)吉本隆明だ、栗本慎一郎だ、戸川純だ、ヨゼフボイスだドイチェアメリカニシェフロウントシャフトだ、アインシュトルッツェンデノイヴァウテンだ、と言っていても所詮は孤独で小心な青年たち。みんなこの曲で涙したものです。たたみいわし・ひざまくら~散歩テクテクのおいしい生活も素晴らしい。いまの無印そのままが20年前から提示されていたのだ。もちろん、こう感じるのはアッコメロおよび歌唱のおかげ。YMOに加えジャパンを筆頭に当時のロンドンニューロマンティックスシーンを巻き込みつつ、そして80年代宝島カルチャーの荒波に染められつつも、「愛がなくちゃね」は独自の暖かな世界があった。そしてそこが一番居心地がいいってぇのが宝島少年の本音だったかも知れないナー。ムツカシー顔をしたジャパンのミックカーンなどが「ヤッパリアイガナクチャネ~」とコーラスするのも愉快。
アナログ時代、レコードの高額化を懸念したアッコさんがジャケット/本体別売りにし、本体1,800円というのもうれしかった。もちろん、ジャケットは買わなかった(笑)
Three Part Species
japanのベースがお気に入りの人には、違和感があるかも。ミックのソロが好きな人は、ぜひ聞いてほしい1枚です。ミックのベースはどのアルバムにしても、オリエンタルな感じがして、日本人にとても合うと思います。日本人とのコラボが多いのも分かる気がします。坂本教授とのセッションがあるのか、誰か教えてください。それにしても、アルバム全体からの印象は、ポップな感じではないので、コマーシャル的に成功するのかは、疑問符がつきます。先行シングルと合わせて聞いてもらえると曲のコンセプトが、分かるのではないでしょうか。
The Concrete Twin
今回の作品は、ヴォーカルがミック・カーンなのか分からないけれど、ほぼインストゥルメンタルのいつも通りの自作自演の作品となっている。ゲスト参加ミュージシャンも1人と少し寂しいところがあるけれど、彼らしいミュージシャン’ズ・ミュージシャンの好む凝った創りになっていると思う。なにか作業するなかでBGMとして聴くもよし、ソファかベッドに横になって聞き込むのもいいかもしれない。ただ売れるか売れないかといったら、疑問符がでるかもしれない。でも、そこが昔からのファンのつぼをついた聞き手を理解した作品になっている。ジャケットも自作でアーティスティックなところも僕が好きなところの1つです。