可愛い女(ひと)・犬を連れた奥さん 他一編 (岩波文庫)
高校生のころ、この「可愛い女」と「犬をつれた奥さん」は読んだのですが、どこが面白いのやら、まったく不明、という感想で、そのままうっちゃって置いたのですが、それから40年近く、岩波から改めて刊行されたので読み直して見てビックリ、これはもう、はっきり傑作ですね。そして、神西清氏の訳が本当に秀逸。近年の、正確ではあるけれど情感がきわめて薄い流行の訳とは、ダンチに異る世界です。
チェーホフの文章をたどると、人間の心の動きが詳細に眼前に現れ、何ともはや、これは大人にしか分らない小説なのでしょう。短い小説ですが、人生の何ともいえない成り行きを示して、心が重くもなり軽くもなる、といった感情が沸き上がります。
はつ恋 (新潮文庫)
初めての恋の複雑さをすごく良く表していると思います。恋とは故意に出来るものではありません。この物語の主人公ウラジミール・ペトローヴィチは、令嬢ジナイーダに恋をする。私はこの本の題名の「はつ恋」というのはウラジミールの恋だけではなく令嬢ジナイーダの「生まれて初めての恋」も表しているような気がします。一文に「私は、もはやただの子供でも少年でもなく、恋する人になったのだ」とありますが、後半に差し掛かったあたりのジナイーダも同じことを想ったことでしょう。ただジナイーダの場合は「女の子」ですから、今まで「故意の恋」くらいの経験者ではあるでしょう。ですが、あのジナイーダが「女であることの喜び」および「覚えずこみ上げる愛おしさの切ない心」を知ったのはきっと初めてのことだったのでしょう。ジナイーダが「比べごっこ」をし、「アントニー」の年齢を聞いたときの彼女の寂しげな言葉!ああ、話が進むにつれて何とジナイーダの生気が感じられなくなることか!ジナイーダが皆に話した、若い女王のお催しの話に登場する「噴水のそばの愛しい人」とは、ジナイーダの心の中にいる男性を表しています。誰とは言われていませんが、きっと、ウラジミールの父親だったんでしょう。ジナイーダの腕が鞭で打たれたとき、そして彼女がその傷に接吻をしたとき。ウラジミールが何故涙を流したのか、私はよく理解できて、胸の奥がきりきりと痛みます。―4年後、ジナイーダは死んでしまうのですが、彼は涙することもなく冷静に、ジナイーダのため、父のため、そして自分のため、祈りをささげます。ああ、本当に、この作品の「恋」の描写の恐ろしくリアルなこと!この本はロシアの作品ですが、愛情や恋心などは国や時代が違えど人間である限りは変わらぬものなのだと言うことがひしひしと伝わってき、不思議な情熱を感じずにはいられませんでした。
桜の園・三人姉妹 (新潮文庫)
人間、「昔は良かった……」という懐古の念に捕らわれることがしばしばあるが、
本書ではその懐古の念が戯曲のカタチで鮮やかに描かれている。
「私は完璧な現在・未来志向なので、過去なぞ一瞥もしたくありません!」と言い切れる読者は、
本書に手を出さぬほうが良いのかもしれない。それはそれでひとつの幸せであろう。
文豪の戯曲とはいえ、本質的には手すさびの手段の一種に過ぎないのだから。
『桜の園』は過去への憧憬を捨てられないだけの話で、
旅立ちの話なのにも関わらず未来への指針が見えず、
全く面白くなかったと言えばウソになるが、付き抜けた名作とは思えなかった。
それよりは『三人姉妹』が面白かった。
戯曲という形式を読み慣れていない私でも読み易かった。
こちらも旅立ちの話だが、人間関係の絡ませ方がガッチリしていて、かつ明るい。
過去への懐古は相変わらずだが、湿っぽくなく、前を向いている。
訳文は神西清の手によるだけあって、安心して読める。